リトミックってなあに?

リトミックって何?と問いかけられて、答えられるようになったら一人前?

 

これがなかなか難しいのです。さあ、その問いに答えるべく

チャレンジ!チャレンジ!

 

さて、私は一人前か、まだまだ半人前か…リトミックの道のりは長くて遠い。

子育て支援のリトミックと個人教室のリトミック

 子育て支援のリトミックとリトミック教室で行われるリトミックの違いを考えていきたいと思います。そこから、リトミックとは何かをお伝えできたらと。


1.リトミックと子育て支援の関係

 リトミック教室の歴史をひも解いてみると、実は子育て支援の走りと言えるのがリトミック教室でした。今のおばあちゃんたち世代が子育てをしていたころ、子育て支援と言うものはまだ存在しませんでした。核家族が始まった当時は、絶対数が多かったために隣近所が助け合って子育てをすることができてもいましたが、その頃には、世間からは子どもを育てるのは母親の役割と母性神話がはびこって、良き母でないと通りすがりの知らないおばさんからも、責め立てられ、中途半端に口は出すけれど、手を出さない親世代の監視下の元で子育てをしているような状況でした。

 もちろん口も手も出してはくれる人もいましたが、母親たちは、その口うるささに辟易しており、その人たちにうるさく言われないように孤軍奮闘で子育てを強いられていたのだと思います。本当に助けてほしい時に、本当の助け手を得られない母親たちは、孤独な子育ての中で、自分たちにはどんな助け手があったら子育てが楽しくなるだろうか、そう考えていたのでした。この時の世代が、やがて自分の子育てがひと段落すると、子育て支援と言う仕組みを模索し立ち上げ始めたのでした。


 彼女たちが子育て支援を手探りではじめ、奮闘しているときに、高齢化社会と共に少子化が問題になり始め、エンゼルプランが立ち上がって、子どもを産みやすい環境をと、国も後押しが始まりました。細々とボランティアによって行われてきた子育て支援に、助成金がおり、公の後押しがついて、今は子育て支援の場で子どもを取り合うほど、母親が出かけられる場がたくさんできる土台が出来上がってきたのです。


 さて、核家族が当たり前になり、子どもも減り始め、ようやく子育て支援のうぶ声が上がりはじめるころ、それでもまだ一般的に、生きがいのため、自分自身のため、仕事がしたいと「保育園」に子どもを預けて働きに出ようとすると「ひどい母親」とバッシングを受ける状況でした。さりとて幼稚園に入るまで、家庭で子育てするのは孤独の中で精神的に追い詰められてしまいます。でも「辛い」と口にしようものなら「母親失格の烙印」を押されてしまう。「おかあさんしっかり、こどものために頑張るのは、母親の仕事であり喜びのはずだから、弱音を吐かないでください」と、ますます圧力はかかるばかりです。


 そんな時、「隣のトットちゃん」がベストセラーになります。自由奔放なトットちゃんはちっともじっとしていなくて、幼稚園を退学させられます。そんなトットちゃんを受け入れてくれたのは、トモエ学園の小林宗作先生。ありのままに受け入れ、さらには褒めてくれ、リトミックで遊んでくれる。彼女は楽しく幼稚園に通うというお話です。この本がきっかけでリトミックブームが起こります。

 リトミックは子育てに役に立ちそうだ。ありのママの子どもを受け入れてやれる。しかもうれしいことに幼稚園に入る前から親子で習うことができる。当時は年少組からのスタートだったリトミックも、そんなお母さんの声に押されて、2歳児クラス、そして1歳児クラスと教室が広がっていきました。

 当初は、音楽家にさせたいと考えていた、教育熱心なお母さんから火が付き、気が付いたら、リトミック教室に行ったら、わが子と同じ年頃の子どもがいて、お母さんたちにも会える、しかも親子で参加できて、音楽だから自分も楽しめるし、子どもの情操教育にもいいかもしれない、と、音楽教育に関心のなかったお母さんまでが、未就園児のおけいこ事としてリトミック教室に足を運ぶようになりました。リトミックと言う音楽教育の場が、子育て支援の場としてにぎわう時代がこうしてはじまりました。